山里通信
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巨峰の花
  【農作業日誌−2009-10月7日 】 芳美
姫りんご(アルプス乙女)を収穫しました。
小さいのに一丁前のりんごで、とっても可愛いです。
明日は台風の予報です。
どうか被害が出ませんように・・・と祈るような気持ちになります。
人間が自然を痛めすぎたため、ここ何年も自然の怒りが止まらないのでは、と思ってしまいます。 


10月17日
村中で警戒態勢をとっていた台風18号でしたが地域での被害はなく通り過ぎ、今は稲刈り脱穀が終わりホッと一息しています。
このまま穏やかにフジの収穫を迎えたいところです。
山々はきれいな紅葉がはじまりました。
                       
  【農作業日誌−2004-9月8日 】 芳美


今年初の木もれ日だより、残念ながら台風被害の報告です。
今年は台風の当たり年、先日の16号は何とか大丈夫でホッとしたのもつかの間、昨日の18号でみごとにやられてしまいました。
まだ正確に把握していませんが、庭の紅玉は半分以上が落下、ふじ、千秋、王林も3割方落ちました。
日本列島に大きな爪あとを残しながらの台風、自然の怒りの前でなすすべがありません。
台風の月9月は、毎年ながらハラハラです。
こんな風に落ちました。(クリックで拡大)

  【農作業日誌−2003-7月30日 】 芳美
今年の夏は異常気象。
何時までも梅雨空で、肌寒い日が続きます。
農作物も果実の甘味や、稲の生育が心配されています。
暑い毎日は辛いですが、太陽の光が待ちどおしいこの頃です。

さてこんな中、我が家ではウコッケイの雛が2羽孵りました。
2年前に生まれたタマチャンが、ママになって育てています。
赤ちゃんはホワホワで、かわいい〜です!!

2年前のタマちゃん

ママになった現在のタマ

今日孵った雛たち
  【農作業日誌−2003-4月 】 芳美


【村の有志で建てている手作りログハウス、完成間近!】
 4月20 雨
昨年から、ここ倭地区の村の有志で、ログハウス建設に取り組んでいます。
材木も山から木を切り出し、皮をむきと、一から手作りの作業です。
詳しい様子はこちらのサイトでぜひご覧下さい。
http://loghouse.s21.xrea.com/

今日は雨の中でしたが、皆で、手作りしたきのこ汁やおはぎ、ケーキ、焼肉、旬の野菜等などを持ち込み集まりました。
雨で屋根張り作業は延期ですが、外の石垣を積んだり、お花を植えたり、丸太のチップを敷き詰めたりして、だんだん形ができあがってきています。
(今日の様子の写真)

村の仲間達が気楽に集まれて、外とも交流のできる場所になるといいなと思っています。
【農作業日誌−2001-7月 】 芳美
 

【ようやく摘果が終わった!】
 7月3日 晴れ

 
先月までこの地域では珍しく雨が多く、涼しかったのですが、7月に入っていきなり夏日!
今日はなにしろ暑くってフラフラでした。
でも、ようやくりんごの摘果という仕事が一段落しました。

 摘果というのは、たわわに実った小 さなりんごの実を数十個に一個の割合で残し、後は摘み取る仕事です。
立派になりそうな実を見極めて、選別をしていくわけです。

 先日友人が訪れ一緒にこの仕事をしたのですが、彼女は、
「こんなに林檎を摘んでしまってもったいない!小さいのでもカリカリっと食べるとおいしいのに・・・・」
と言いました。
そう、私もこちらへ来たばっかりの頃、隣のおばあさんにそう言ったら笑われたっけ、と思いました。
けれど今は、小さいのや不恰好なものはどんどん取ってしまいます。
そうしないと良いものはできないし、日本で林檎栽培をしていくには採算も取れないから。

 こちらで農業をやってみて感じることは、間引き、選別の仕事がなにしろ多いことです。
どんな実だって林檎なのに、こんなことばかりしているとどこか心が歪んでしまうかも・・・・とふっと思います。
彼女の言葉に諭されて、(へんてこ)林檎少し残しておきました。
私のささやかな抵抗として。

 
これらが摘果対象の(へんてこ)林檎です。
  【林檎の蜜のこと】 
 この季節になると、今年の林檎の蜜はどうなるかな?と思います。
そしてつい、どうぞ蜜が入りますように、と願ってしまいます。

 私はこちらへ来る前、林檎の蜜は注射器か何かで人工的に入れるのかと思っていました。
でも林檎作りをしてみて、それがまったく間違いだったということが判りました。

 蜜は、その地帯独特の気候、寒暖の差によって入ります。
だから同じ中野市でも場所によって違いが出たりします。
ここ柳沢は蜜の入りがよい地域ですが、それでも年によってばらつきがあります。
99年は、秋に急激な寒さが来なかったためか、蜜の入りは悪く、昨年は夏と秋の寒暖の差が激しく蜜がいっぱいでした。
それに同じ木でも、全部の林檎が均等にできるわけではありません。

 食べる側からすると、全部の林檎に蜜が入ってほしいと思うのでしょう。
作る側からすると、蜜入り林檎だけをより分けて届ける不自然さを感じてしまいます。

・・・・・・というわけで林檎の蜜は大自然からの贈り物と私は思っているのです。
 
鳥の雛】

 
先日、我が家で飼っているウコッケイに雛がうまれました。
一ヶ月近く2羽の雌鳥が4個の卵をあたためていましたが、かえったのは一羽だけでした。
2羽のお母さん鳥に育てられている雛は今のところ元気いっぱいで、毎朝その様子を眺めるのが私の楽しみです。

 でもこの雛、どうも足は太いし、おしりがピョコっと上がっている・・もしかしたらオスかもしれない。
雄鳥って困るのです。卵は産まないし、朝早くの声は大きいし、その上、子育て中の雌鳥と子供にはイライラして乱暴になるし・・・・
「雄鳥の役割はそれなりにあるので認めるけれど、子育てはやっぱり協力したほうがいいんじゃないの?」
と私は雄のタリオ(我が家の雄鳥の名前)に呟いてしまいます。
それにしても、雄でも雌でも雛って可愛い。
 

ウコッケイの雛
(ほとんど親バカです。
見たい人のみクリック拡大
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【農作業日誌−2000-11月 】

【いよいよ収穫の便りです】 
 今年も、収穫の季節がやってきました。10月から11月にかけてはこちらでも雨模様の日が続き、寒さにあたった山里はすっかり秋から冬の気配です。雪の多い地方では、雪の降ることを指標に一年が営まれています。秋の入り口あたりから、気の早い農民たちは、「雪が来るまで、もう100日もない」などと話しながら、冬に向かう仕事を組み立てていきます。
 記録的な猛暑だった今年は、それでも果物の当たり年。桃、ぶどう、りんごと、どれも甘みがのり、とてもおいしく仕上がっています。秋口にお送りした巨峰もおかげで好評、「今までで一番おいしかった」という便りも届きました。「干ばつの年に飢饉(ききん)なし」という言葉の通り、お米も含めどれも陽の光を十分に浴びて元気いっぱいに育った一年でした。
 気候不順の年にどんな名人が作るよりも、こんな年にそれほど上手ではない農民(私のような)の作ったほうがずっとおいしいくだものが出来ます。おそらく野菜や穀物でも同様なのでしょう。こんな話を都会の高齢の方にしてあげたら、なぜかとてもうれしそうに聞いてくれました。

【りんごの木をまるごとお届けするために】
 前回の通信で、『産直販売をしているからには、都会の人たちに村の暮らしもふくめて届けたい、りんごも最後に穫れる果実だけでなく、枝もたわわに実る「りんごの木をまるごと」何とか届けられないものかと思います。』と書きました。とりあえず今回は収穫したふじの枝で作った「木もれ日農園」の小さなプレート(ほとんどただの木切れ?)をりんごと一緒にお送りします。ゆくゆくは工芸品(?)のようなものにふくらませていければと思っていますが、何時のことになるのやら、もし良いアイディアがあればぜひお寄せ下さい。こんなことを手始めに山里の暮らしのいくらかでも伝えていけたらと思います。

 りんごも、決して規格品のような果実が一様に木になるわけではありません。大きいものや小さいもの、色の濃いものや薄いもの、蜜の多いものや少ないもの、と同じ木でも枝によって様々な実がなります。甘いものばかりでなく、時には酸味の利いたものが食べたいこともあるかもしれません。そんなりんごの全体を皆さんにもお届け出来たらと思っています。

【田中康夫知事が誕生しました】
 この秋、田中知事の当選とそれにまつわる様々なエピソードは、連日のように全国ニュースとなって列島中を駆けめぐりました。
 長野県のような地方においては、「行政」には都会の人からは想像もつかないほどの特別の権威があります。都会では、「市民からの突き上げを受けて役所があわてて実行する」といった光景のほうが近年は普通になってきていますが、地方ではまだまだ行政こそが先進的であり、権勢ばかりでなく、差別をなくすことや男女同権、人権や民主主義の思想といった新しい動きも、行政から人々へ啓蒙活動として流されることのほうがむしろ一般的です。そんな地域の中にあって、しかも「県の行政あげての選挙違反」ともいうべき締め付けの中で田中氏が当選したことは、多くの人々にとって常識をくつがえす驚きであり、県庁の職員たちがこの事態を受け入れることが出来ずにとまどい混乱しているのもある意味で当然のことかもしれません。
 田中氏がどれだけの手腕を発揮するのか未だ未知数ですが、特筆すべきことは、あの日以来まわりの人々が急に口を開き政治のことを話し始めていることです。もし池田氏側が勝っていたら、人々はもっと重く押し黙ったままでいたのかも知れません。今は、この時ならぬ一陣の風が私たちの新しい未来につながっていくことを願いつつ.....。  

【小学校の田んぼ脱穀!】
 10月に、地元の5年生が育てた稲の脱穀をしました。全部で200坪、300キロばかりですが、それでも子供たちだけでやるのは大変でした。エンジン脱穀機の横に昔からの足踏み脱穀機を並べて作業をしたのですが、エンジン脱穀機に興味を示す子供、足踏みのほうにやりがいを見いだす子供と様々。二つの機械の基本的な構造があまりにも一緒であることのほうにかえってビックリ。稲作の伝統は脈々と受け継がれているようです。

 
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マツバボタン 【農作業日誌−2000年 9月 】
こぼれ種から育つマツバボタン

【とにかく暑い夏でした】 
 燃えるような夏がようやく過ぎ、収穫の季節が近づいて来ました。こちらは何年ぶりかの猛暑で、梅雨の頃から少なかった雨が八月になるとほとんど降らなくなり、今なお一ヶ月近くもまったく雨が降っていません。庭の池は涸れ、畑は草刈りもいらないような乾燥した気候が続いています。もともと、この地域は夏場に降水量が少ないことでおいしいくだものの産地になっているのですが、今年はあまりに極端。今はこのあたり一帯に何十年も前から張り巡らされている、千曲川の水を利用した地域灌水設備網だけが頼りの毎日です。先人たちの苦労と情熱に圧倒される思いです。

【くだものたちは順調に生育】
 そんな天気のおかげで、果物たちは順調に育っています。りんごのふじも、通常の半分しか農薬を使用していないためにふりかかる様々な病害虫を今のところはなんとか(ぎりぎりで?)かわしながら、夏の季節を過ぎました。あとは、9月の長雨や台風、最後の害虫被害を乗り切れば、いよいよ収穫です。
 産直販売をしているからには、都会の人たちに村の暮らしも含めて届けたい、りんごも最後に穫れる果実だけでなく、枝もたわわに実る「りんごの木をまるごと」何とか届けられないものかと思います。りんごの木の枝を使ったものなど、現在様々に思案中です。次の通信を乞うご期待!

【相次ぐ食品異物混入事件は】
 この夏、次から次へと続けて報道された食品異物混入事件。同じ「食べ物」に携わっているものとしては、無関心ではいられない気持ちです。これだけ繰り返されるのを聞くと、「これは決して急に増加したわけではなく、今までも同じようにあったのだろう」と思ってしまいますが、中でも特に記憶に残ったのは森永の事例でした。
 覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、ここだけは他とはすこし違ったケースで、雪印の中毒事件で不安になった森永が消毒剤を普段より多く入れてしまい、それが異臭クレームに発展したものです。印象的だったのは、記者会見で工場長が「善意から出たことが逆効果になってしまった」と語っていたことでした。
 今の社会では、安全性を確保するには、まず第一に事後に投入される「消毒剤」、という発想のほうが当たり前になっています。「安全性」の中身が見事に逆転していることに強い不安を覚えます。

【村の電車が廃線の危機】
 私たちが、6年前にこの村に移り住んでからでも、地域は年々変わり続けています。家の前を細々と一時間半に一本の間隔で運行されていた単線の木島平線が、累積赤字の深刻化のため今年いっぱいで廃線、という計画が発表されました。
 朝晩はそれでも通学する中高生でにぎわった、すぐ先の無人駅もなくなりそうです。不況下で公的な補助もままならず、反対の署名運動もそれほどは盛り上がっていません。
 何よりも進行する過疎化のために、少数の子供や年寄りを除いては、地域の足は既に車が中心になってしまっています。その報道と入れ代わるように、新幹線建設(誘致?)のための道路建設の話が関心を集めていて、地域の将来像はますます見えにくくなっています。
 
 
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【農作業日誌−2000年6月 】
【2000年の農作業が始まりました】 
 春は、一年中で最もいそがしい季節。3月の雪を踏み分けてのりんごの木の剪定作業から、切った枝の片づけ、ぶどうの棚揃え、5月になれば水田や苗の準備、田起こしと次から次へと仕事が待ちかまえています。
 低農薬栽培のため、どうしても病害虫にやられてしまうりんごの被害を、どうやったら少しでも食い止められるか工夫をめぐらしたり、「田んぼの除草のために米ぬかを入れるといい」という情報を聞いて、米ぬかを大量に用意したりといった毎日がまた始まっています。
 今年は雪解けが遅く、それに合わせて例年より1週間ほど遅く芽吹きをはじめ5月の初旬に白い花をつけたりんごの実も、も今ではもう2、3センチの大きさにまでなりました。今はその摘果の仕事の真っ最中です。

【子供たちは田植えをしました】
 末の娘も小学校5年生、村では5年生になるとみんなで(といっても学年全体で15人ですが)米作りをするのが習わしです。今年も7アールの田んぼを子供たちで受け持ち、5月22日に手植えによる田植えを行いました。村でも年々、自分のうちで米作りをしている子供は減っていき、やっているところもほとんどが機械による田植えや稲刈りになっています。それでもその日は全員が田んぼに入り、何人かの親も手伝いながら、午前中かけてもち米の苗を植え終わりました。秋には約数百キロのお米が穫れる予定です。



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