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【 農作業日誌−1998年 11月 】 |
【注文品がお送りできなかったお詫び】
9月の下旬、中部地方を襲った台風7号のため、北信州のりんごやぶどうは大きな被害を受けてしまいました。前回にぶどうやりんご「千秋」を注文していただいた方々のほとんどにお送りすることが出来なくなってしまい、大変ご迷惑をおかけしました。逆に多くの方々から心配、お見舞いの連絡を頂き、本当に励まされる思いでした。
【ドキュメント台風7号】
夕刻から吹き始めた南風は午後7時頃にピークに達し、山麓をなめるように吹き荒れ、実をたわわに付けたリンゴの樹の身を捩るように揺さぶり続けました。わずか1時間あまりの間にりんごの実は、約7割が振り落とされてしまい、翌朝畑にいってみると、ほんのりと色づき始めたりんごの実がまるで畑にじゅうたんを敷き詰めたようにばらまかれていました。
我が家だけではなくこの地域一帯のりんごがほぼ壊滅状態で、近隣の農家もしばらくは茫然自失。被害としては四〇数年前の伊勢湾台風以来という惨状でした。落ちたりんごは、収穫までまだ一ヶ月以上もあったために糖度が低くてジュースやジャムには向かない上に、加工用には外国産のりんごが大量に輸入されているためにほとんど廃棄処分にするしかないという実状で、予定されていた村祭りや秋の文化祭もすべて中止という厳しい年になってしまいました。
この冬はますます採算の取れないりんごつくりを断念する農家が増えるだろうと言われていますが、数年に一度はどうしても覚悟しなければいけない、という自然の怖さを今更ながら見せつけられた思いです。
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【 農作業日誌−1998年 8月 】 |
北信州では曇天の日が続き、例年になく涼しい夏でした。その夏も終わり、収穫の季節を目前にして気候はそのまま秋へとつながっていくようです。昨日も終日、斑尾山の端には暗い雲がかかっていました。
さて、今年第2回目の通信です。3年前に苗を植えた、家の前の小さなぶどう畑も、今年は棚の半分ほどにも広がり、今年から収穫をします。
【テレビドラマ「北の国から」】
春にNHKテレビで息長く続いている「北の国から」という、北海道を舞台にしたドラマを放映していました。今回は農業の行き詰まり、経営破綻、有機農業の難しさ、と暗いテーマが扱われていたのですが、中に、無農薬で育てているじゃがいも畑に、病気の伝染を怖れた隣りの農家が勝手に農薬散布を行ってしまうという衝撃的なシーンがありました。
この北信地域でも、例えば、黒星病にかかっているリンゴの樹は持ち主の意向に依らず強制的に撤去してもかまわないという条例のある町があります。北海道にもその種の条例があるのでしょうか。無農薬、低農薬で作物を育てていくことの持つ難しさのまた別の側面を改めて感じさせられたりしました。
【田んぼの除草について】
前号で書いた新たに借りた1反4畝の水田では、さんざん迷った末に、結局、除草剤は使わずにすべて手取りで除草をすることにしました。「悪いことは言わないから、せめて一回だけでも使いなさい。」という助言が周りからたくさん寄せられたのですが、初めての場所でもあり、取りあえずは挑戦してみることにしました。おかげで夏の間は田の除草に追われて、その他の作業は軒並み遅れがちになってしまいました。
ほとんど音を上げてしまいそうになった作業も、後から調べれば、秋の田おこしや代かきの工夫でかなり軽減出来ていたのかもしれません。数十年前は誰もが手取り除草をしていたはずなのに、除草剤が広まってからはそれらの技術はすたれ、維持し教えてくれる人もなくなくなってしまいました。
環境を守っていくことも、ただ理念をかかげるだけではなく、それを支える具体的な自然との関わり方をもう一度作り育てていくことが大切なのだと思います。
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【 農作業日誌−1997年 秋】 |
( 番外編 )
今年の秋の朗報をもう一つ。我が家のニワトリ(コーチン、ウコッケ)に待望のひなが(三羽)生まれました。
元気な雛達 |
我が家には今、名古屋コーチン(オス1、メス1)とウコッケ(オス1,メス1、チビ3)計7羽のニワトリがいます。実は今年の6月コーチンのメスが卵を抱き始めたので、とても楽しみにしていたのですが、7月の大雨の日にかえったヒナはずぶぬれ状態で死んでしまいました。それを知った近所の方が、「ウコッケは卵を抱くのがじょうずだから」と、メス1、オス1の2羽を持ってきてくれました。
そして10月半ば、卵をあたためはじめ、とうとう11月3日~5日にかけて、3羽の可愛いヒナがかえりました。
一ヶ月近くエサもあまり口にせず、じっと卵を抱き続けたお母さん鳥のタリーは、今子育て真っ最中。ちょこまか動きまわるヒナ達にエサの場所を教えたり、与えたり、危険を察すると羽の中に抱え込んだり・・・。その間、子供達はお母さん鳥の上に乗ってみたり、柿をつっついて顔中が柿だらけになってみたり・・・。ピヨピヨピーピーの大にぎわい、このやんちゃぶりは日々増しています。
それを毎日ながめながら、「子育てって鳥でもこんなに大変なんだ。母は強い。それにひきかえ、お父さん鳥は食べて大声で鳴くだけ・・・」などなど思ってしまいます。それでもチビ達の成長は可愛くって、つい鳥小屋をのぞき込んでしまう私と夫。「育てる責任ない分、やたら可愛いね」なんて、まるで孫をみるような会話をしています。
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【 農作業日誌−1995年 秋 】 |
川崎市からこちらに移り住み、2シーズン目も、今、たけなわ。
農業経営面積も、水田1.1反歩、りんご2反歩、ぶどう0.8反歩、自家用野菜0.2反歩と合計4反歩ほどに広がっています。初めてのシーズンは無我夢中だった農作業も、「田の水加減を今年はこうしてみよう」とか「りんごの農薬散布はこの時期を省けるんじゃないか」などと少しずつ構想をめぐらせながらの作業に変わってきています。とはいっても未だ農業についても作物についても解らないことだらけ。周りの農民から「俺もひととおりわかるまで十年かかった」といった経験談を聞きながら、当分は修行と模索の時期が続く気がします。都会で、どちらかといえば、「工業」を足掛かりに生きてきた自分たちが、自然のサイクルに合わせた生き方に10年そこらで転換できるのかどうか、それも一つの実験だろうと思っています。
「自然に立脚する農業」を思い描いていても、こちらに来てみれば、農業とてそこはいやおうなしに現代の産業です。化学肥料、農薬、大型農機と石油に全面的に依存した技術体系、作物は流通の効率化に合わせた一個の商品、そしてすべての指標になるのは収益性、と見事なまでに「工業生産」に重なっています。一方で、このあたりの果樹生産地帯は国内の農業の中ではまだ採算が成り立つ数少ない地域であるはずなのに、山手の条件の悪い畑を中心にして、何十町歩もの耕作放棄地がひろがっています。
そんな中で、自立的な農業の領域を何とか見出そう、という私たちの試みのさしあたっての手がかりは自前の産地直送販売です。外見は不揃いで今の流通には乗りにくくても、農薬や除草剤を極力押さえ、堆肥や有機肥料を中心にした、安全でおいしい作物をめざしたいと思っています。
まずは自家用野菜は無農薬に撤し、りんごやぶどうは、除草剤は用いず、低農薬についての情報を必死で集め、通常の半分以下の農薬散布。また米は除草剤一回、農薬は苗箱消毒のみだった昨年に引き続き、今年は除草剤なし、苗箱消毒すらしないという少々大胆な試みを行なっています。
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【 農薬の使用について 】 |
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りんごの栽培を手がけるときに、まず第一にぶつかる問題は農薬の使用についてです。果樹は農作物のなかでも最も無農薬栽培がむずかしいとされていて、有機農業に関する書籍で「無農薬は果樹については不可能」と書いてあるものまであります。しかし、こちらにきて、大型の農薬散布車(スピードスプレーヤー)が噴水のように農薬を散布して回り、作物への残留から土壌汚染、地域汚染も問題になっている現実を見るにつけ、なんとかしなければ、という思いにもかられてしまいます。
いまのりんご栽培では、年10数回に及ぶ大量の農薬散布が、その中心的な作業の一つになっています。まず年のはじめに、農協、農薬会社等から、今年の「防除暦」という一覧表が配布され、何月に何を散布する、というびっしりとしたスケジュールが指定されます。作物に小さなキズ一つあれば市場ではそれこそタダ同然で買いたたかれてしまう今の流通制度のなかでは、大半の農民はそれに厳格に従わざるをえない仕組みになっています。
現在、この地域では、年12回、30剤以上(一回に複数の農薬を散布することが通例)が指定されていて、地域によってはさらに回数のふえるところもあります。その他にも、薬剤摘花剤、果実落下防止剤、着色増進剤と、幾種類もの化学物質がかけられることもあり、年15回と言われることすらあります。
もちろん、かつてに比べれば、それらの農薬の安全性に関しては行政により厳しい検証が行なわれるようになっています。一つの新しい農薬が開発され、それが安全性が認められて登録が行なわれるまでには10年かかるとさえ言われています。しかし、去年までひんぱんに使われていた農薬が、発ガン性が見つかったとして翌年から使用禁止になったりする例もしばしばあり、それで安全とは決して言い切れません。
木もれ日農園では、そんな状況下でも出来るかぎり農薬の使用は押さえるという方針を取り、今年は散布を、年6回14剤+摘果剤、と通常の半分以下に減らした栽培を行ないました。毎年、シンクイムシ、黒星病、斑点落葉病等、いくつかの病害虫にやられたりもしますが、これまでのところ、おおかたはなんとか収穫までたどり着けます。
まだまだ不十分かもしれない試みを足がかりに、栽培技術を向上させたり、新しい工夫をしたりと、来年以降も低農薬、無農薬に向けた試みを続けていくことになりそうです。
肥料についても、昨秋に鶏糞、種かす、骨粉などの有機肥料のみを与えました。今年のはじめには、堆肥用にキノコ栽培の廃材であるとうもろこしかすを畑の一角に積んであり、この秋には畑に投入する予定です。どれもささやかな取り組みですが、少しずつ循環型の農業に近づいていくことをめざしています。
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【 農産物市場について 】 |
庭のプルーン |
【 収穫と出荷 】
産直販売を始めて感じることは、今の流通や経済の仕組みがいかに農業を歪めているか、ということです。
昔から「豊作貧乏」という言葉がありますが、作物の出来不出来と農家に入る収入とはほとんど関係がなく、例えば農産物の生産量が市場の需要に対してわずか一割でも多くなれば値段はなんと半値にまで落ち、逆に一割でも不足すれば値段は二倍にも跳ね上がるというのが通例です。
その中で赤字を出さないために農家が強いられるのは、まず早出しということ。プラムなどは先がちょっとでも色づけば出荷するようにしたほうが、「旬」になり十分熟してから出すよりもずっと高収入になります。先日農協の出荷場の知り合いから、「過熟で売れない桃があるからいらないか」と言われて食べてみたら、なんと驚くことに逆に堅くて食べられないのです。その人が言うには「柴垣さんが桃を作ったら、きっと一つも出荷できずに全部ダメにしてしまうよ」とのことでした。
【 商品と農薬 】
また、この辺りでは、主力商品である果樹にはしっかりと農薬散布をするにもかかわらず、自家用の延長のように作られている色彩の強い稲に対しては、多くの人が当たり前のように、ほとんど農薬をかけずに作っています。逆に隣接した県である米どころ新潟県では、今度は米が主力商品となるため、米の方に、ここの何倍もの農薬を散布しているといいます。
商品となった米では、その中にごくわずかに痛んだ米が含まれていただけで、等級を下げられ、収入が大幅に減ってしまいます。大型機械化し、経費の率の高い現在の米作では、売り上げが、少し下がっただけで、所得は半減し、下手をすると採算割れということにもなりかねません。
今の農業の在り方が、現在の流通や商品、市場の形態にいかにしばられているか、ということをここで暮らしていると、様々な場面で感じさせられてしまいます。
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【 手作りの暮らし 】 |
ログハウス建設のようす |
1997年の夏の最大のイベントは、庭に手作りの小屋を一軒建てたことでした。広さはほんの十畳弱というものですが、外も内も米杉(レッドシーダ)の総板張り、三角屋根、大きな窓、木製サッシ、内部にロフトまでついたちょっとステキなものです。狭いながらも基礎のコンクリ打ちから始めた本格的なもので、はじめは少し手に余るかなとも思ったのですが、今年はブドウの苗がまだ養成中でそれほど作業に追われないだろうと思い、おもいきって手がけてみることにしました。半年がかりでようやく外装が終わった段階で、内装、仕上げは、たぶん雪が降る頃の仕事。来年の春以降に遊びに来てくれた人には案内することが出来るでしょう。
そもそも農民は昔は「百姓」(百の職業)と呼ばれていて、かつては衣食住に関することはすべて自分でやったといいます。今でも、農業を営むためには、機械の修理、重機の運転、あるいは化学、気象、経営に関する知識など様々な力が必要とされます。手作り派、自給自足派にとっては、おそらく最高の腕の見せ所かもしれません。それでも現代では農業も専門化し、家を自分で建てるような人はおらず、この地域の人も変わり者の都会人には驚き、関心を強くしたようで、うれしいことに何人もの人がトンカチを持って手伝いにきてくれました。みんな手伝いながら、どうも、「以外に簡単じゃないか」と思ったようでした。
取り組んでみて思い知らされたのは、自分が長年住んでいるはずの「家」の仕組みについていかに知らないか、ということでした。暮らしは年々快適になり、その享受の水準はどんどん上がっているのに、中身については逆に疎くなり、その落差はかえって日に日に広がっているのかもしれない、さらに家ばかりでなく現在の生活を支えているその他の膨大な領域まで考えていこうとすると・・・、ほとんど立ち尽くしてしまうような気がします。
(P.S.) ただ、専門の分野もまた最近はかなり変化していて、よく「マニュアル社会」といわれるように、高度な技術も今はもはや熟練を必要とはされず、全てが出来合いのユニットの組み合わせで構成されるようになっています。
添付されたマニュアルに従ってそれらを組み合わせていくだけで、誰にでも同じものが実現できてしまう。そんな味気なさも、専門分化し、ブラックボックスと化した現代の社会にアマチュアリズムの風穴をあけようとするときには、かえってひとつのきっかけとなるのかもしれません。
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